(#3 砥石城の戦いでどうする からの続き)
謙信の大義名分
ハジメ編集(以下、パパ):村上義清さんからのSOSに、上杉謙信さんは応えるんだね。
滝澤前館長(以下、滝澤):そうなんだ。でも、謙信さんにとって義清さんは部下じゃないから、SOSに無理して応えなくてもよかった。ただ一方で、謙信さんは現在の長野市川中島周辺に広がる善光寺平にまで、武田軍の影響が及ぼされることに対して危機感を持っていた。
敏腕記者ケンちゃん(以下、ケン):もしかしたら、謙信さんのいる越後の国まで攻め上がってくるかもって思ったのかな?
滝澤:そう言うことだね。謙信さんとしては、義清さんからのSOSに応えるという大義名分のもとに、正々堂々と信玄さんを追い返すことができる。義清さんに力を貸すことは、謙信さんにとってもメリットがあったんだね。
パパ:なるほどなぁ。
川中島の戦い
滝澤:川中島の戦いは12年にわたり計5回も行われたんだ。
パパ:川中島の戦いは有名だけど、そんなに長い戦だったんだね・・。知らなかったよ。
滝澤:1回目の戦いでは、謙信さんの兵力を借りた義清さんが奮闘し、本拠の葛尾城や家臣の福沢氏の城(上田市・塩田城)も取り返すことに成功する。
パパ:おおッ! やったね!
滝澤:ただ、謙信さんが兵を引くと信玄さんが攻めてくるという構図になってしまって・・。結末としては、義清さんは本拠の葛尾城を諦め、越後まで引き返すんだ。
ケン:せっかく奪い返したのにね・・。
滝澤:謙信さんとしては善光寺平が防衛ラインであって、それより先にある葛尾城までは守備のエリアを広げられなかったんだね。
パパ:なるほどなぁ。
滝澤:その後、100日間もにらみ合いが続いた2回目や、偶発的に戦いが始まってしまった4回目などを経て、長期にわたり戦が繰り広げられたけど、最後まで義清さんの悲願である旧領回復は叶わなかったんだ。
ケン:残念だったね。義清さんはその後どうなったの?
滝澤:謙信さんから越後の糸魚川にある根知城の城主に指名され、そこで晩年を過ごすことになる。
パパ:そうなんだぁ。
滝澤:村上義清さんは信玄さんに2回も勝っているし、確かに強かったよね。でも、悲願である葛尾城の奪還は叶わなかった。つまり義清さんは、局地戦(バトル)では勝ったけど、戦(ウォー)では負けたと言っていいと思う。
パパ:なるほどなぁ。義清さんもかなりいい線いったと思うけど、群雄割拠の戦国時代は結果が全てだよね。最終的には信玄さんが勝ち、勝った者が強いってことだね。
統治システムの差が勝敗の決め手に・・?
滝澤:勝敗の決め手の一つに、家臣や領地の統治システムの違いがあるのではないかと考えれているよ。
パパ:統治システム?
滝澤:義清さんたち国衆(地方豪族)の統治システムの基本は、対面でのメッセージの交換なんだ。今よりもずっと言葉に重みがあって手紙などの文章を制作することは少なかったと言われている。
ケン:言葉の力かぁ・・。言霊(ことだま)って言うしね。
滝澤:戦にはめっぽう強かった義清さんだけど、統治という面で考えると一般的な国衆レベルだったとも言える。それに対して、信玄さんは甲斐の守護大名として広い領地を一円支配する必要がある。そのためには官僚を育て文章を活用し、地域の国衆たちの力を借りながら間接的に支配しなければならない。信玄さんは先進的な統治システムの運用に成功したと言えるだろうね。
パパ:領地が広がるほど、信玄さんが家臣一人一人に会うことが難しくなるのは当然だよね。
ケン:信玄さんの新しい統治システムが、全体のまとまりを生み、戦では大きな力になるんだね。
滝澤:その通り! まさに統治システムの差が勝敗に大きく影響したのではないかと考えられているよ。
ケン:義清さんも、もっとまとまりのある組織が作れたら、家臣に裏切られることもなかったのかもしれないのになぁ。
パパ:今回は、村上義清さんについてよく理解できました! そのあたりを踏まえて「どうする家康」に、義清さんが出てくれば良いのにね。
ケン:あのね・・。どこをどう踏まえるのさッ!
パパ:しーん・・。
村上氏のその後・・
滝澤:おもしろいエピソードがあるよ。義清さんの手紙は3通しか現存していなくて、そのうちの2通は根知城で書いたものとされている。
パパ:3通だけなんだね。もっとあってもいいような気がするけどなぁ・・。
ケン:確かにね。
滝澤:実は、義清さんが出した本物の手紙が少なかったことが、思わぬ事態を招くことになるんだ。
パパ:どういうこと?
滝澤:江戸時代の終わりごろ、比較的裕福な農民や商人の間で家系図を作成することが流行する。その家系図に、村上氏と結びつきがあることを勝手に記載してしまう人が多くいたんだ。
ケン:粉飾じゃんか!
滝澤:その通り。偽造や、真偽の怪しい文章の数は100点以上確認されているよ。
パパ:何でそんなことをするんだろう?
滝澤:疑問に思うよね。ちなみに、義清さんが根知城に移った後、息子の代で村上氏は断絶してしまったんだ。
パパ:ふむふむ。
滝澤:例えば、幕末まで大名家として存続した真田氏や小笠原氏に関係する文章を偽造することは大問題だけど、断絶している村上氏であれば本人から怒られる心配がないし、家柄がいいからちょうど良かった。そんな心理が働いたんじゃないかな。
ケン:名門の清和源氏出身だしね。
滝澤:確かにね。ただ、その偽物の文章を作った人がまたおもしろい。
パパ:と、言うと?
滝澤:なんと、自分は村上氏の末裔だと吹聴する人物が上田に現れたんだ。その人物は水戸藩の人だったらしいんだけど、偽物の文章をたくさん書いたと言われているよ。
パパ:本当に末裔だったとしても、偽物の文章はマズイよね・・。
滝澤:本当だね。ちなみに明治時代に入ると、それまで貴族や大名だった人が爵位をもらい華族としての身分を獲得するけど、そこにも先ほどとは違う村上氏の末裔が現れて、爵位をくれと願い出るんだ。
ケン:お~!
滝澤:だけど、残念ながら・・と言っていいのかわからないけど、爵位はもらえなかったみたい。
パパ:本当に末裔かどうか、判断に迷うよね。
滝澤:確かにね。じゃあ、最後に村上義清さんについて整理してみようか。村上氏は清和源氏の流れをくむ由緒正しいお家柄で、武力もあった。義清さんの代には広大な面積を手中に収めることができた。ただ、家臣や領地の統治という面では一般的な国衆(地方豪族)のレベルであり、武田氏の新しい統治システムによる、組織としてのまとまりと兵力の前に屈してしまった。そんな感じかな。
パパ:よくわかりました!
ケン:そうなると、国衆から大名になり、江戸時代を通じて大名で居続けた真田氏はすごいよね。
滝澤:そうだね。真田氏は生き残り戦略に長けていたと言えるね。
パパ:真田氏も確かにすごいけど、戦国時代にその名を刻んだ村上義清さんもすごいよね!
結果は残念だったけど、信玄さんに2回も勝ったことは事実だし、胸を張っていいんじゃないかなぁ。
ケン:本当だね。郷土の偉人として、これからも語られていって欲しいね。
パパ:徳川家康さんに勝ったのが武田信玄さんで、その武田信玄さんに勝ったのが村上義清さん。そして、その村上義清さんを推してるのがパパということで、これから先、どんな展開を迎えるのか・・。風が吹けば桶屋が儲かるか・・ぐふふ・・。
ケン:ぐふふって・・。何かを期待しているパパは放っておくとして。村上氏に武田氏、真田氏と、うえだ地域はおもしろいエピソードが盛りだくさんだね。滝澤正幸さん、今日はありがとうございました! またお話を聞かせてくださいね!
滝澤:またね~!