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どうする義清って何なのさッ #3 砥石城の戦いでどうする?

目次

#2 上田原の戦いでどうする? からの続き)

写真中央、左側の山に米山城(山頂の桜の花が白く見える)、右側の山に砥石城があった。

真田氏の登場

滝澤前館長(以下、滝澤):二度目の戦は砥石(といし)城の戦い(1550年)だ。この戦いも大河ドラマ「風林火山」で詳しく描かれていたよ。上田市民にとっては馴染み深い、真田幸村さんの祖父にあたる真田幸綱(幸隆)さんが武田軍の武将として登場していたね。

ハジメ編集長(以下、パパ):佐々木蔵之介さんが演じていたよね。覚えているなぁ。

敏腕記者ケンちゃん(以下、ケン):砥石城の戦いから、真田氏の名前が世に出てきた感じなの?

パパ:真田氏はそれまでは何をしていたんだろ?

滝澤:いい質問だね! 真田氏の名前は、砥石城の戦いから150年前、1400年に善光寺平で行われた大塔(おおとう)合戦に関する資料で初めて確認することができるんだ。大塔合戦は、信濃守護の小笠原長秀さんと、村上氏・井上氏・高梨氏・仁科氏などの有力国衆の戦なんだけど、そこに真田氏(当時の表記は実田)が参戦していたと記録されている。

パパ:へぇ~。

滝澤:ちなみに、真田氏の本家とされる海野氏は、祢津氏、望月氏とならんで平安時代の末期1100年代には記録上に登場するよ。

ケン:そんなに昔からあるんだね!

滝澤:おっと、驚くのまだ早い! 海野氏の本家とされる滋野氏は、源氏や平氏のように天皇から直接「姓(かばね)」を授けてもらったんだ。源平藤橘(げんぺいとうきつ)源氏、平氏、藤原氏、橘氏以外の苗字ではレアなケースだよ。

パパ:知らないことばっかりだ・・。

義清が二連勝!

滝澤:ちょっと話が戻るけど、村上義清さん、武田信虎さん、諏訪頼重さんの三者連合があったよね?

パパ:うん。村上義清さんが勢力を拡大した時の話だよね。

滝澤:その三者連合が戦った相手が海野氏なんだ。そして海野氏は敗北。海野氏に味方をしていた真田幸綱さんは上野の国(群馬県)に敗走したと言われている。

パパ:そこに繋がるんだね! あれ? でも真田幸綱さんは砥石城の戦いでは武田軍に参加していたよね? 

滝澤:そうなんだ。昨日の敵は今日の友と言うべきか。当時の人たちの、生きるための常とう手段だね。真田幸綱さんからすると、三者連合は憎いんだ。でも、武田信虎さんが追放されて信玄さんに代替わりしたよね。だから、わだかまりも捨てやすかっただろうし、ここで村上義清さんを破ることができれば、真田の郷を守ることができる。武田軍に付く方が幸綱さんにとって都合がよかったんだ。

パパ:なるほど。

滝澤:さぁ、いよいよ砥石城の戦いだ。この時、義清さんは50歳。砥石城には義清さんの部下である地元の国衆たちと兵が500名ほどいた。そこに武田軍の7000名の兵が迫るという構図だ。

パパ:すごい戦力差だね(汗) 義清さんはいなかったの?

滝澤:うん。義清さんは北信濃の国衆である高梨氏と戦をしている最中で、砥石城には義清さんの部下が待機していた。

ケン:そうなんだぁ。

滝澤:武田軍は、今の上田インターチェンジ近くに陣を構え、砥石城ににらみを利かす。横田高松さんや真田幸綱さんの部隊が砥石城に攻め込むが、山城である砥石城のまさに砥石のような絶壁に大苦戦。

挑戦的な・・と、思いきや登ってみたらホントに大変でした(汗)

ケン:山城の戦い方って、やっぱりお城にいる側の方が強そうだよね。崖の上から石を投げたり丸太を転がしたりするだけでもすごい武器になりそう。

パパ:本当だね。パパだったらタラの芽の木を振り回して相手に投げつけるかな!

ケン:まぁ確かに、タラの芽の木はトゲトゲがかなり痛いけどね・・。

パパ:でも安心してね。タラの芽はちゃんと回収してから投げるから。これぞまさに、「敵に塩を送る」ならぬ、「敵にタラの木だけを送る」・・だね!

名犬ハンドリー(以下、ハン):意味が全く分からないワンッ!

ケン:しーん・・。

タラの芽の木は振り回す側にもリスクがある事を付け加えておきます。念のため・・。

滝澤:・・それはそうと、砥石城や隣接する米山城はもともと海野氏の代官・小宮山氏の城で、真田幸綱さんからすると、勝手知ったるお城だったんだ。だけど、そんな幸綱さんであっても落とすことができなかった。そうこうしているうちに、義清さんのもとに砥石城からのSOSの知らせが届く。当時の武将のマナーとして、部下からのSOSには必ず応えなければならなかったんだ。

パパ:そうなんだ。

滝澤:SOSの知らせを受け取った村上義清さんはすぐさま高梨氏と和睦を結び、砥石城にいる部下を助けるための兵を出す。その動きを察知した武田軍は退却するんだけど、義清さんからの援軍と砥石城から出てきた兵によって追撃を受けた武田軍は、殿(しんがり・退却時に最後尾を守る役割で非常に危険)を務めた横田高松さんを戦死させてしまうんだ。

パパ:あちゃ~・・。

滝澤:諸説あるんだけど、武田軍は1000人近い死傷者を出してしまい、信玄さんは義清さんに二度目の敗北を喫してしまう。これが世に言う「砥石崩し」だよ。

パパ:ちなみに余談だけど、砥石崩しならぬ「岩石落とし」はプロレスの大技バックドロップの日本語名だって言うことをお伝えしておこうかな(笑)

ハン:余談を挟まないで欲しいワンッ! プロレスじゃないワンッ!

パパ:す、すみません・・。

いざ砥石城へ。階段が整備されているとはいえ、ひたすら続く急こう配! きつい!!

信玄の執念! 三度目の正直

砥石城周辺はトレッキングコースとして整備されている

パパ:戦国最強っていうイメージが強いけど・・2連敗かぁ、若かりし頃の信玄さんは順風満帆とはいかなかったんだね。

滝澤:本当だね。ただ砥石崩しの翌年、三度目の正直で武田信玄さんが勝利を収める。

パパ:激戦の末にって感じ?

滝澤:いや、それが違うんだ。真田幸綱さんが村上義清さんの部下の国衆に寝返りを進める。そしてたった一日で陥落させてしまうんだ。

ケン:すごいたった一日で! それにしても調略とは真田氏らしいやり方だね。

滝澤:そうだね。実は、村上側には、幸綱さんの弟の矢沢頼綱さんがいて。幸綱さんと国衆の間を取り持ったとされている。

パパ:なるほど。

滝澤:幸綱さんは前回の戦いで手痛い失敗をしていたんだ。だから今回は、名誉挽回ってところだね。後のない義清さんは本拠の葛尾城を捨て、越後の関東管領上杉謙信に助けを求めるんだ。

パパ:武田軍の侵攻がいよいよ北信濃に迫るんだね。

滝澤:そうだね。実は、これらの武田氏と村上氏の戦いは、川中島の戦いの前哨戦と位置づけられているんだ。

パパ:動くねぇ~! 歴史が動くねぇ~!!

ケン:何それ・・。

米山城にある「村上義清公の碑」地元住民に慕われていることがわかる。

(次回、#4 川中島の戦いでどうする? をお楽しみに!)