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太郎山こぼれ話

目次

「鎌倉殿の13人」出身の上田氏は、大江氏だけではなかった?

ハジメ編集長(以下パパ):臨兵闘者皆陣列在前(りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん)!

ケンちゃん(以下ケン):急に叫び出してどうしたの?

パパ:大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で源頼朝さんの弟の阿野全成(あのぜんじょう)さんが初めて登場したシーンを覚えてない? 北条政子さんたちを敵から守るために「臨兵闘者皆陣列在前!」って言って風を起こすってやつ。

ケン:風は起きなかったけどね。「今日は難しいようです」とか言って。

パパ:もしかしたらパパでもできるかもしれないと思って、頑張っているんだけど、これがなかなか難しくて・・。

ケン:そもそも何でそんなことしてるの?

パパ:ケンちゃんもいずれ大人になったらわかると思うけどね・・男子たるもの一歩外に出れば七人の敵がいると思えって、昔からの言い伝えがあるんだよ。

ハンドリー先生(以下ハン):いつの時代の話だワン!

パパ:むむ・・ケンちゃん達にもいずれわかる日が来るよ。実際、昨日もパパは犬に噛まれて、サルにひっかかれて、キジに突かれたから・・。父親とは家の顔と外の顔とは違うものなのだよ。ふふ・・。

ケン:パパは外では鬼なの? 

パパ:ほら、忌野清志郎さんの有名な歌「パパの歌」にもあるじゃない?「♬昼間のパパは~ちょっと~違う~♬」って。

ケン:パパは一日中ちょっと違うけど。

パパ:いや~それほどでもぉ(笑)

ハン:褒めてないワン! はやく本題に入って欲しいワン!

三善氏が上田氏に

パパ:と、ところで太郎山の記事を読んでくれた方とお話をしたんだけど、「鎌倉殿の13人」に登場する大江広元さんの子孫が上田太郎さんで、太郎山の名前の由来がその太郎さんにあることに驚いていたよ!

ケン:聞いてみなきゃわからないことって、たくさんあるよね。

ハン:ちなみに、パパは「鎌倉殿の13人」出身の上田氏は、大江氏だけではないって知っているのかワン?

パパ:え? 大江氏だけじゃないの? どういうこと?

ケン:パパは知らないみたいだね。では、ハンドリー先生教えてください!

ハン:実は、三善氏も上田氏なんだワン!

パパ:んん・・? どういうこと?

ケン:では、今回もこの方に解説をしていただきましょう。前上田市立博物館館長の滝澤正幸さんです。

ハン:お願いしますだワン!

滝澤前館長(以下滝澤):こんにちは! パパの前振りが長いから帰ろうかと思っちゃったよ(笑)

パパ:す、すみません(汗)

滝澤:実は三善氏も上田氏だったことを知っているなんて、さすがだね。

ケン:いや~それほどでもぉ。

滝澤:さすが、上田市三善町にケンちゃんあり! だね。

ケン:三好町ですけど・・

滝澤:そうだったね(笑) じゃあ、本題。「鎌倉殿の13人」に出てくる三善康信さんはわかるかな?

パパ:京都から源頼朝さんに手紙を送ってくる、おっちょこちょいな人だよね。

滝澤:そうそう。下級貴族の出身の三善康信さんは、ずっと源頼朝さんの味方をしていたんだ。その後、鎌倉幕府が成立したのを機に、鎌倉に招かれて政務を担当することになったと言われているよ。

ケン:すごい出世だね! 

滝澤:前回の太郎山の話の中で、当時の判断ミスは「死」か「失脚」を意味するって言ったのは覚えているかな?

パパ:はい! それを聞いて、パパは鎌倉時代に生まれなくて良かったって心から思いました。「君子危うきに近寄らず」って言うしね。

ケン:パパは自分に都合のいい諺(ことわざ)ばかり詳しいんだから。

滝澤:まぁまぁ(笑) つまり、三善康信さんは良い判断をし続けてきたとも言えるね。

パパ:ドラマではおっちょこちょいに描かれているけれど、ちょっと見方が変わるなぁ。

運命の霜月騒動

滝澤:三善氏の話の前に、大江氏が上田荘を取り上げられた話も覚えてる?

ケン:霜月騒動だよね。

滝澤:そうだね。簡単に言うと幕府内の権力争いが発展して、鎌倉の街の中で合戦がおきてしまったんだ。勝者の北条氏側につかなかった人たちには、自害者がたくさん出たし、処罰が下された。11月に起きた騒動だから霜月騒動っていうんだよ。

パパ:鎌倉時代はやっぱり恐ろしい・・。

ケン:その霜月騒動で敗北した大江氏は、上田荘を没収されたんだよね。

滝澤:そうなんだ。そこで、今度は三善氏の出番になる。

パパ:と、言うと?

滝沢:北条氏は没収した上田荘の地頭として三善氏を指名したんだ。

ケン:御恩と奉公だね。

ハン:この場合、御恩が上田荘で、奉公が戦うってことだワン!

滝澤:その通りだね。「いざ鎌倉」ってことだ。

パパ:幕府と御家人は強い絆で結ばれていたんだね。

滝沢:御恩(土地)があるうちはこの関係性でよかったんだね。さて、ここからがおもしろいんだけど、三善氏は上田荘の地頭に就任する時には実は大田氏だったんだ。

パパ:またややこしい・・。

地頭は兼任できます

滝沢:三善康信さんは「鎌倉殿の13人」として幕府内で政務を担当していたんだけど、康信さんの子の康継さんは備後国の大田荘(今の広島県世羅郡世羅町)の地頭になっている。

パパ:広島県? また、ずいぶん遠いね・・。

ケン:ドラマの中で、主人公の北条義時のお父さん、北条時政さんが「場所は関係ない、要は米の取れ高よ」って言ってたね。

滝澤:実際、有力御家人には全国のあちこちの土地が振り分けられたんだ。それで、地頭となった康継さんは大田姓を名乗ることになって、康継さんの孫の康世さんまでは大田氏だったんだ。で、どうやらそのあたりで霜月騒動が起こり、大田氏が上田荘の地頭も兼任することになる。

パパ:兼任なんだ。どっちか一つじゃなくて。

滝沢:そうなんだ。すると、今度は康継さんのひ孫の康冬さんからは上田姓を名乗り、上田四郎康冬となった。

パパ:大田姓から上田姓に変えちゃったんだ・・。ん? でも、兼任で地頭をしているわけだから、上田荘にいる時は上田を名乗って、大田荘にいる時は大田を名乗ったほうがいいのかな・・? あれ? どうなるの?

滝澤:当時の苗字は今と違って、自らの役職や土地の名前を表す肩書のようなものって話をしたよね。大勢の中から他者と区別するための「記号」のようなものって思ってもらえばいいかな。だから、基本的には上田さんだけど、大田にいる時は上田荘地頭代の大田さんでいいんだよ。

ケン:地頭代とは、地頭本人の代わりに荘園経営を任された人(本人の一族郎党)のことだね。

パパ:苗字と肩書が一緒になってるって・・なんか複雑。

滝澤:ちなみに、苗字を二つ同時に持っていた可能性もあって「上田大田康冬」としてたかもしれない。

パパ:上田なのか! 大田なのか! って突っ込まれそう(笑)

滝澤:確かに(笑)

パパ:ちなみに、大田氏出身の上田氏はその後いつまで上田にいたの?

滝沢:いつまでとはっきりは言えないけど、諏訪上社の資料などを見ると、室町時代中期頃までは上田荘の地頭をしていたと書かれているよ。

パパ:室町時代の後期からは群雄割拠の戦国時代に突入するし、上田氏も時代の荒波にのまれてしまったのかな・・。

ハン:滝澤さん今日も詳しい解説ありがとうございますだワン!

自分の身は自分で守れる・・?

パパ:よし! こうしちゃいられないぞ!! フンッ! フンッ!

ケン:どうしたの?

パパ:いや、さっきの風を起こすヤツ。きっとパパの修業が足りないからできないんだよ。手刀(てがたな)で十字を切るんだけど、この角度がいけないのか? それともスピード?

ケン:まだその話続いているの? 風を起こしたいなら、うちわ持って手刀を切ったらいいんじゃないの?

パパ:なるほど! さすがケンちゃんは賢いね。

ケン:それで納得しちゃうんだ。

パパ:いや、さらにイイことを思いついたよ! うちわじゃなくて小型の扇風機をもちながら手刀を切ればいいんだよ!

ハン:手刀を切る意味ないワン! 

パン:問題は、電源コードが届く範囲しか動けないことだけど、この際だから電池式のハンディタイプでいいか!

ケン:この際ってどの際なのさ!

パパ:じ、次号をお楽しみに・・。

監修:前上田市立博物館館長 滝澤正幸氏

参考文献:上田市の荘園と武士 上田市誌歴史編(4)