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太郎山は、なんで太郎山なのさッ!?

目次

秋晴れの太郎山山麓 2021年撮影

上田太郎って誰なの?

ハジメ編集長(以下:パパ):ずくずくタイムスが創刊して、これから先どんな出会いがあるのかを考えると、なんだか「ちむずくずく」してくるよ!

ケンちゃん(以下:ケン):「ちむどんどん」でしょ! 胸がドキドキするってことね。

ハンドリー先生(以下:ハン):無理に朝ドラに引っ掛けなくていいワン!

ケン:そんなパパに質問! 上田市にゆかりのある有名人っていっぱいいるけど、例えば誰を思い浮かべる?

パパ:そうだなぁ・・。真田家の皆さんはもちろんだけど、富士アイスさんとか・・他にまだいるかなぁ?

ケン:ちょっと! まだまだいるよ! じゃあ、パパにさらに質問。上田市内にある市民憩いの山と言えば太郎山だよね。太郎山はなんで太郎山っていうの?

パパ:太郎山はなんで太郎山というか・・? う~ん・・(泣)

ケン:パパは知らないみたいだね。では、ハンドリー先生! 正解をお願いします!

ハン:正解は『上田太郎さんの領地にある山だった』からだワン!

パパ:上田太郎さん? 石田太郎さんは石田純一さんの本名だってことは知っているけど・・。

ケン:パパは脇の情報ばかり詳しいんだから・・。では、詳しくはこの方に説明していただきましょう。前上田市立博物館館長の滝澤正幸さんです!

ハン:解説をお願いしますだワン!

滝澤前館長(以下:滝澤):ケンちゃん、ハンドリー先生。こんにちは!

パパ:あの、ワタクシは・・?

滝澤:上田太郎さんを知っているなんてさすがだね。さては、お弁当箱のサイズはドカベンかな?

ケン:それは山田太郎さんでしょ!

滝澤:そうだったね(笑)じゃあ本題。上田太郎さんは知る人ぞ知る地元の有名人だよ。

パパ:そ、そうなの?

滝澤:「ある仕事」をするために上田に住み着いた太郎さんだから、上田太郎さんなんだよ。

パパ:どう言うこと?

大江広元の子孫が上田太郎!?

滝澤:まずは年代を説明するね。鎌倉時代前期~中期に上田太郎さんという人が居たと考えられているんだ。

ケン:「鎌倉殿の13人」に出ている大江広元さんの子孫なんよだね。

ハン:ちょうど放送されているから親近感が湧くワン!

滝澤:さすがに詳しいね! 「鎌倉殿の13人」で栗原英雄さんが演じる大江広元さん。そのひ孫にあたる大江佐泰(すけやす)さんが上田太郎さんなんだ。

パパ:大江さんなのに、上田さん??

滝澤:慌てないで! まずは系図で大江氏の嫡流筋(本家)の流れを説明するね。

パパ:太郎に、又太郎に、孫太郎?? なんかややこしいね(汗) え~と・・、大江さんが上田さんになった理由は?

滝澤:そうだね。まず、当時の苗字の概念を説明しておこうかな。当時、一定の地位にある人たちは、自らの役職や土地の名前を苗字にしていたことが多かったんだ。例えば、上田荘の荘園経営をする地頭だから上田さん。真田に住んでいたから真田さん。とかね。パパは学校で「守護・地頭」って習ったのは覚えているかな?

パパ:(「ヂアタマ」かと思った・・)もちろん! じゃあ、大江さんは「地頭の仕事」をするために上田に来たことで、上田氏を名乗ったんだね。

ケン:「私は上田荘の地頭をしています」とか「真田の出身です」とか。苗字が今で言う、名刺そのものなんだね。

滝澤:ちなみに、今でこそ上田市と言えば広いけど、当時の上田荘は上田菅平インターチェンジ周辺のことを指したんだ。パパは条里制は覚えているかな? 航空写真を見ると、田畑がきれいに整備されているがわかるよ。

パパ:条里制・・。あ、はい・・。

滝澤:話は戻るけど、いかに土地に価値があったかということがわかるよね。土地に縛られているとも言えるかな。「自分は何者です」ということを分かり易くするために、苗字の変更の必要があったんだ。ちなみに、京都から離れない貴族は「通りの名前」を苗字にしたんだ。一条通りだから一条さん。二条通りだから二条さん。鷹司通りだから鷹司さん、とかね。

パパ:おもしろい! ちなみに、仮名(けみょう)の太郎さんって? 佐泰さんじゃないの?

滝澤:仮名は家族や親しい間柄で呼ばれる名前のこと。真田信繁さんは源二郎だし。真田信之さんなら源三郎だよ。

パパ:当時の名前の仕組みは複雑だね(汗) 確かに「鎌倉殿の13人」を見ていても、主人公の北条義時は「小四郎」って呼ばれているね。

滝澤:この場合、義時のお父さんの時政が「四郎」だから、その息子の義時が「小四郎」になったって感じだね。

パパ:そうか! じゃあその考え方で言うと、小堺一機さんは、堺正章さんの息子だから小堺さんなんだね! 長年の謎が解けたよ!

ハン:それは全然違うワン!

ケン:小堺さんと堺さんは親子ではありません!

パパ:し~ん・・。

太郎山の名前の由来は?

滝澤:オホン・・。え~と、太郎山の話をしてもいいかな?

パパ:お願いします・・。

滝澤:今でこそ太郎山、東太郎山、中太郎山と区別されているけど、昔の人はそれぞれの山に個別の名前を付けることはあまりなかったんだ。

パパ:そうなんだぁ。

滝澤:こんな面白い例があるよ。今回取り上げている鎌倉時代(中世)の頃、松本市から見て西側にある飛騨山脈をさして、松本の人たちは「西山」と呼んでいた。

パパ:山脈でしょ? 「西山」ってざっくり過ぎない?

滝澤:そして、槍ヶ岳とか里から直接見えない個々の峰々に名前が付き始めたのは、江戸時代になってからなんだ。

ケン:ボクも知ってるよ! 飯田市から見て遠いところにある赤石山脈のことを、飯田の人たちは「遠山」って呼んでいたんだよね。

滝澤:さすがケンちゃん! 「遠山」のことまで知っているなんてさすがだね。

ケン:それほどでも~(笑)

滝澤:と、言うわけで太郎山に関しても、その昔は、現在の太郎山とその周辺の山もひっくるめて太郎山と呼ばれていたんだ。

パパ:うんうん。

滝澤:で、肝心の名前の件だ。中太郎山のふもとに「白山比メ(メは口ヘンに羊)神社(しらやまひめじんじゃ)」があり、そこの神宝庫には、

「弘安元年戌寅九月吉祥日 上田太郎大江佐泰」という名前の入った木製のお札が保存されている。

石段を上った先に白山比メ神社がある

パパ:上田太郎さんが奉納したの?

滝澤:鑑定の結果、残念ながらそのお札自体は上田太郎さんの時代のものではないらしい。でも、他の資料と照らし合わせてみると、もともと何かしらの原本があって、後の時代にそれを写し取ったものである可能性も否定できないんだ。

パパ:と、言うことは?

滝澤:証明できる確かな記録がないから、ここからはあくまでも仮定の話だよ。太郎山が現在「太郎山」と呼ばれていることは事実だよね。そして、近くを流れる黄金沢川が「太郎川」と呼ばれていた記録(古地図)もある。また、説明したように「上田太郎大江佐泰」というお札が奉納されていることや、現在の太郎山から黄金沢川(太郎川)を挟んで東太郎山までを上田氏が領地としていたことも間違いない。それらを勘案してみると、「上田太郎さんの領地にある山」だから「太郎山」と呼ばれるようになった。と、考えられているよ。

パパ:上田太郎さんという地頭が居たことは間違いないし、その人の領地内にある山だから「太郎山」となったんだね。

滝澤:はっきり「いつ決まった」とは言えないけど。おそらくそんな感じかな。

静かな流れの黄金沢川  新緑が気持ちいい

上田太郎は「いい人」説!?

ケン:これはボクの想像だけど、上田太郎さんはもともと地元の人じゃないから、領民にいい印象を持ってもらうために領民思いの政治をしたんじゃないかな。きっとそれが受け入れられて、上田太郎さんの評判が上がり、そして親しみを込めて「太郎山」「太郎川」という名前で呼ばれた。そんな感じであれば素敵だよね。

ハン:まさに歴史ロマンだワン!

パパ:本当だね。「鎌倉殿の13人」の中では、大江広元さんの策士ぶりが恐ろしかったから・・。ひ孫の上田太郎さんには優しい人であって欲しいな。上田太郎さんの孫の孫太郎さんが上田荘を没収されて地頭でなくなっても、「太郎山」の名前は残り続けたし。「上田太郎ここにあり!」と名を残せてよかったね。

滝澤:想像を膨らますことが歴史の楽しみでもあるね。ただ一般的な事を言うと、人の名前は意外とコロコロ変わるけど、地名はそうは変わらない。山の名前も同じで、「太郎山」と定着した以上、「真田山」とか「仙石山」「松平山」なんかには変わらないんだ。

ケン:なるほど~。

滝澤:そういう意味で言うと、大江広元さんの嫡流筋(本家)の上田氏は運がなかったね。活躍のピークは広元さんの時の「鎌倉殿の13人」で、その後の承久の乱や霜月騒動で判断のミスを重ねるうちに段々と日の目を見ることがなくなった。

パパ:そうか・・。

滝澤:当時の判断ミス。つまり勝者側に付けないということは「死」や「失脚」に関わるんだ。厳しい時代だよね。

パパ:パパは鎌倉時代を生きていくのは無理だ! 現代に生まれてよかったぁ・・。

ハン:もうちょっと自信もって欲しいワン!

滝澤:でもね。大江広元さんの次男の時広さんの家系は、長井氏として代々関東評定衆という役職に就いて幕府の執権政治を支えた。また、四男の季光さんはなんとあの「毛利氏」の祖として知られているんだよ。

ケン:毛利氏まで! 優秀な家系なんだね~!

パパ:上田氏と毛利氏が親戚だなんて・・ビックリ! まさに「真実はいつも一つ!」だね。

ケン:名探偵コナンの毛利小五郎さんではありませんけど・・。

パパ:そ、そっか・・。

クマが出ます。くまったことに・・

「ハジメ山」も夢じゃない?

パパ:今回は太郎山の名前の謎が解けたね。よし! パパも頑張れば、小牧山あたりが「ハジメ山」って呼ばれる日が来るかも! 頑張るぞ~!!

ケン:あのね・・それは絶対にないし、いったい何を頑張るの?

パパ:そうかな?? いやぁしかし、それにしてもややこしい・・

ケン:何が?

パパ:だって、四郎の子どもが小四郎で。太郎の子どもが又太郎、孫が孫太郎って・・。

ケン:そっちの話ね。

パパ:イイこと思いついたよ! この機会にどう? ケンちゃんもパパの子どもだから「小ハジメ」に改名してみない?

ケン:いったいどんな機会なのさッ!? ハンドリー先生! お調子者のパパをこらしめてください!

ハン:いい加減にしなさいッ! ワンワンッ!

パパ:さ、最後に一句、詠ませておくれ・・。

『身はたとひ 上田の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし ずくずく魂』

ケン:吉田松陰さんの辞世の句を勝手に変えるな! 意味わからん!

パパ:じ、次号にご期待ください。・・パタリ・・(完)

監修:前上田市立博物館館長 滝澤正幸氏

参考文献:上田市の荘園と武士 上田市誌歴史編(4)